新説・日本書紀③ 福永晋三と往く
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2018年(平成30年)2月17日 土曜日
神代紀 めまぐるしい王権交代
筑豊で王権交代があったとして、その順が皆目分からない。特に、英彦山上宮の天村雲尊が記紀のどこにも記されていない。記紀は英彦山の神を削除したようだ。 ただ、この神が「三種の神器」の草薙剣に深く関わる。「草薙剣。一書に云う、本の名は天叢雲剣。けだし大蛇の居る上に、常に雲気有り。故以ちて名づくるか。日本武皇子に至りて、名を改め草薙剣という。(書紀神代第八段)」とある。素戔嗚尊の八俣の大蛇退治の時、その尾から出た鉄剣の本の名天叢雲と天村雲は同名である。大蛇は八尾だから、八振りの剣を有したはずだ。遠賀には素戔嗚尊と日本武尊を祭る「八剱神社」が八社以上鎮座する。中でも、鞍手町中山にある八剱神社には、後の天智天皇7(668)年に、草薙剣を盗んだ新羅の沙門道行がこの地で風雨に遭い剣を放り出し、「この御山にしばらく安置奉る」との社伝までが残る。 遠賀川と彦山川流域は弥生時代、現在の飯塚市や糸田町付近まで深く湾入した海だった。八剱を所有していたと思われる八俣の大蛇は、当時、この古遠賀湾一帯を治めていた有力な一族を指すのではないか。中国の神話に、長江下流域では周代ごろ、人頭蛇身の女媧という神が祭られていたとされる。この神を祭る一族との仮説も立つ。ヤマタ(yamata)の「m」が「b」に変わると、ヤバタ(yabata)、すなわち八幡となる。私は、八俣の大蛇一族が最初の八幡神で、「八幡王朝」が古代筑豊にあったのではと考える。豊前神楽に「素戔嗚尊の八俣の大蛇退治」の演目が多く見受けられることも興味深い。 伊弉諾尊は古遠賀湾の王
宋史日本国伝が伊弉諾尊の次の王とする素戔嗚尊は「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」の歌を須賀宮で詠んだ。この宮は須賀神社の密集する点から、飯塚市内野の内野老松神社ではないかと思われる。その後、八俣の大蛇一族を退治し、筑豊に出雲王権を建てたとすれば、八雲とは筑豊で行われていたであろうたたら製鉄の大量の煙を指したものかもしれない。内野老松神社近くの国道200号を北に約6㌔進んだ所には「出雲」という交差点もある。 この素戔嗚尊を倒したのが、神代のスーパースター「天照大神」だ。この神もまた筑豊の王であった。 次回は3月3日に掲載予定です
内野老松神社(中央)の境内には須賀神社(右端)の社殿も並ぶ